合気道を習っていました。
合気道にもいろいろと流派があるのですが、心身統一合氣道という流派の先生に習っておりました。
心身統一合氣道は、合気道の開祖の植芝盛平氏と、中村天風氏の影響を受けています。
植芝盛平氏もいろいろと逸話を持っている傑物ですが、中村天風氏もなかなか面白い人物です。
明治生まれの人で、戦争中に行って銃殺刑に処せらせそうになったのを、すんでのところで偶然命拾いしたり、その後結核にかかり、インドの山奥でヨーガの修行をしたところ治癒したり、帰国してから銀行の頭取になって実業界で活躍し、そうかと思えばその地位を捨て、いまでいう自己啓発書のはしりのような書の執筆を始めたりという、波乱万丈な人生の人です。
私はこの中村天風氏の本を読んだことがあったので、心身統一合氣道に興味を持っていました。そうしたところ、心身統一合氣道の宗主である藤平光一先生のところで10年間内弟子をしていたという先生に出会うことができたので、習っておりました。
心身統一合氣道の教えの基本はこうです、臍の下のいわゆる下丹田といわれるところに重心を置き、氣を前に向ける。
この基本が出来ると、非力な私でも、大人の男の人の体を動かすことが出来るのです。
私は掃除機をかけるときにこのことを思い出します。下丹田を意識して、掃除機のノズルの先に氣を向けるイメージで、掃除機をかけます。すると楽に掃除機を動かすことが出来るのです。
何か悩みごとができたときは、先生から聞いた話を思い出します。先生は、駅などの人込みを歩くときに、下丹田に重心を置いて、氣を進行方向の遠くに向けて、歩くのだそうです。そうしたら、不思議と人をうまく避けることが出来る。氣を遠くに向けずに近くを見ていると、人にぶつかってしまうそうです。
人が悩んでいるときというのは、たいてい近視眼的になっているときです。遠くの目標を見つめれば、どうしたらいいのかがわかったり、小さなことに捉われなくなります。
このように合気道の教えには武道を超えた普遍性があるように思えます。
合気道では、気を読むということをします。
師匠のもとに仕えているときは、師匠の何気ない仕草から、師匠が何をしようとしているのかを読んで動く必要があるそうです。
これは、心理療法家にとってもとても必要な能力ですよね。
来談者さんの些細な表情や声のトーンなどから、些細な心の動きを読み取る。そんなことが出来るようになったらいいのですが…まだ修行中です。
合気道は、相手と戦いません。敵がこちらに向かってきたときは、それとぶつかることをせず、相手の気を読んで、流してあげます。相手の気を利用するのです。
私が合気道を習っていたとき、ミシマ社の社長と森田真生さんのトークイベントに参加する機会がありました。ミシマ社とは、京都にあるユニークな出版社です。
ミシマ社の社長は、支笏湖の水源を見に行き、沸々と湧き出る水が、川になり流れていき、やがて太平洋につながっているのを見て、編集もこうあるべきだと思ったのだそうです。
100%の完成度の企画書通りにことを運ぶと、たいてい面白いことにはならないそうです。それ以上のことにはならない。それよりも、沸々と湧き出る書き手や編集者の熱を、型にはめることなく、うまく流してあげることによって、太平洋のような広みに到達できる。そういう編集がしたいと語っていました。
ミシマ社の社長も合気道を習っているそうですが、この、うまく流してあげる、というところに、合気道の喩えを出しておりました。
心理療法にも同じことがいえると思います。きっと、セラピストが型を作って、来談者の思考や感情の流れの方向を決めるようなことをしてはいけないのだと思います。
来談者の持っている力をうまく流してあげること、それがうまくできたら、治療が太平洋のように開けたところに辿り着けるのかもしれない。
そんなことを思いながら、箱庭療法・心理カウンセリング東京にて、やって来てくれる人と向き合っていきたいと思っております。