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高畑勲『かぐや姫の物語』の感想

 最近なんだか苦しかったのです。
 理由はたぶんわかっているのです。結局は、公認心理師の受験申込みが億劫だったのだと思うのですが。
 心理職の国家資格が初めて出来ました。これまでは臨床心理士が日本でいちばん信頼のある資格だったのですが、国家資格ではなかったのです。臨床心理士を国家資格にという動きは数十年前からあったのですが、(噂によると縦割り行政のせいで?)なかなか国家資格になれずにいたのです。臨床心理士がそのまま国家資格化とはなりませんでしたが、やっと公認心理師という国家資格が出来ることになりました。そしてその資格試験の受験をしました。


 そんなとき、不登校の子ども達の支援をしている方が、SNSに『かぐや姫の物語』の感想を投稿しているのを見ました。『かぐや姫の物語』は、ご存知のように高畑勲監督のアニメ映画です。『竹取物語』のストーリーをそのままに、水彩画のような美しい絵で映像化されました。
 “かぐや姫が子どもだったときは、風が吹いたら姫が笑う。翁も媼も笑う。それだけでよかった。
しかし、姫が成長すると。翁と媼は、よかれと思って、姫に行儀作法や習い事を覚えさせるようになる。姫はもう自分の思うように生きられない。
 はじめはただ笑っているだけでよかったのに、どうして人はそれだけでは満足できなくなるのだろう。ラインを設定し、見比べて至らないと嘆く。“
というような内容の投稿でした。
 不登校の支援をしている方なので、子どもたちの周りにいる大人たちの姿を見てきての感想なのかもしれません。
 資格をとったら、今度はそれを失わないようにする。自分のやりたいことに近い仕事に就けたら、もっと良い条件の仕事を探すようになる。
 人間というのは、何かを得たら、それを失わないように掴んでいて、そのままもっと良いものを求めるものなのだなと。そのことがなんだか苦しいように感じていました。なので『かぐや姫の物語』の感想が胸に響いたのです。私の場合は、姫とは違って、自分で選んだことであるはずなのに、それでも、一枚一枚、衣を重ねて着こんでいくようで、それが十二単のような重さを持ち、動けなくなってしまうような心持ちでいました。
 いっそのこと、資格も仕事も全て捨てて、故郷に帰ったらどうだろう。そんなことを夢想しました。そうなったら、あれをしよう、これをしよう。そうは思っても、結局、いまやっていることと同じところに辿り着くかもしれないし、別のところに辿り着いたとしても、また十二単を着ることになるのだと思うのですが。
 『かぐや姫の物語』では、姫は最後、自分の居る場所から走って逃げ出して、十二単を一枚ずつ脱いでいき、月に迎えられます。姫が十二単を脱いだとき、この世界では生きていけなかったことは、かなしいことです。
 私は、いまこの場所にいながら、それでもいつでも走り出せる自由さを持っていれたらと思います。私が一枚一枚着ていったものは、自分で選んだものであるので、重ねの美しさを出せるように、衣を翻して生きていきたいと思います。
 なんてことをいろいろと考えてしまったのも、受験が億劫過ぎたからだと思うのですが…(ため息)。