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「欠損バー」など”当事者バー”が熱い。「人見知りバー」を取材した。

 障害を抱えている本人のことを「当事者」と呼ぶことがあります。
 四肢障害者による「欠損BAR」や精神障害を患っている女性による「メンヘラビッチBAR」など、当事者によるバーが増えてきております。そんな当事者バーの一つである「人見知りバー」を開催したAさんに、お話を伺ってきました。


■ 首の短いキリン
「もし私が動物のキリンであったなら、きっと首の短いキリンだろう。」
 Aさんはそう語った。Aさんは物心がついたときからの過度の人見知りだ。そのことで数々の苦汁をなめてきた。バイトをしてみては、職場の人達とうまく打ち解けられず、「暗い」だのなんだのと陰口を叩かれる。バーのカウンターに立たせてもらってみるも、接客がたどたどし
過ぎて2日でクビになる。
 「私には、“欠損”がある。社交性の高い人たちを首の長いキリンの群れであるとするならば、私はその中で、首の短いキリンであるかのような思いをして生きている。」


■欠損バー
 そんな思いを抱いていたときだ。Aさんが「欠損バー」についての記事を目にしたのは。新宿ゴールデン街にて、とあるコンセプトのバーが期間限定でオープンした。
 その店で接客をする女性たちは、義手や義足の使用者たちだ。彼女たちは四肢の一部が欠損している、いわゆる“欠損女子”だ。
 このバーにおいては、“欠損”が「かわいい」「かっこいい」という目で見られる。人のフェティシズムとは多様なもので、世の中には“欠損”に“萌え”を感じる人達がいるのだそうだ。
 この記事は、“首の短いキリン”であるAさんの心を、強く掴んだ。
 いうなれば、耳の短いウサギさん、鼻の短い象さんたちが、その短さを曝け出して働いている。そして、そこではその短さにこそ価値が生まれているのだ。


■人見知りバーを開く
 「私も、自分の首の短さをコンセプトとしたバーをやってみたい!」
そう思ったAさんは、クビになったバーのオーナーに「人見知りバー」の企画を提案した。オーナーは快く承諾してくださった。
 そうして、新宿にある「ネコ文壇バー 月に吠える2号店」を借りて、「人見知りバー」を1日限定で開催させてもらったのだ。
 「人見知りバー」では、カウンターで接客をするのは人見知りであるAさんである。そして、人見知りであるお客さんにも気軽に足を運んでもらえるように、ここでは無理をせず自分が楽なようにふるまってもらって大歓迎であること(例えば、口頭で注文を伝えるのが苦手なお
客さんのために筆談やlineを使うなどの注文方法を考えたり、ひとり遊び用のゲームを持ち込みたいという申し出の方に、独りで黙々と遊んでいてくれてもかまわないことを伝えたりした。)、そしてこのバーにいるのはそのことに理解がある人間であることを告知しておりた。
 さて当日、「人見知りバー」には多くのお客さんが来店してくれた。
 人見知りの人、人見知りではない人、人見知りをうまく隠して生きている人、などなど、いろいろな方々が来店し、それぞれの“人見知り観”を聴くことができた。


■困りごとを笑いにする
 「人見知りバー」独自の試みとして『人見知りあるあるカルタ』の読み札を、お客さんたちといっしょに考えた。
 『幻聴・妄想かるた』というものがある。これは一般に販売されているカルタなのだが、その名の通り、統合失調症などの病を抱える人たちの幻聴・妄想体験の内容が、カルタの札になっているのだ。

 読み札の一例を挙げると、

“のうの中に機械がうめこまれ しっちゃかめっちゃかだ”

“知り合いのお坊さんの声が聴こえてくるんだ”

なんていうぐあいだ。
 『幻聴・妄想かるた』には、病の実態を一般の人々に広く知ってもえるという側面があるとともに、かるたにすることで、病を抱えている人たち自身が自分の症状を外在化することができるという、治療的な側面もある。

 困りごとが自分にくっついていてただただ振り回されているという状態から、距離をとって眺められる状態になるわけだ。しかもそれを楽しみながら。お笑いの一種に“あるあるネタ”というのがあるが、ある出来事を笑いにできるというのは、それはそのことを客観的に見られるようになるということだ。
 そんな思惑もあったりして、『人見知りあるあるカルタ』を考えてもらったという。
 50音分の読み札を考えたこのカルタ、最初の「あ」の札はこうだ。
“ 「あ、」「あの、」から始まる会話”
人見知りはとにかく、間投詞が多い。人前に出るとアガってしまうので、なかなか言葉が出
てこないのだ。

 「え」の読み札は、“「えーと…」で途切れる会話”だ。
 人見知りの生態や心境がわかる『人見知りあるあるカルタ』、この記事の末尾にて50音分すべての読み札を発表している。来年のお正月にでもぜひこのカルタで遊んでいただきたい。


■首の短いキリンが輝ける場所
 人間は誰でも多かれ少なかれ“欠損”を抱えているものだ。
 首の長いキリンたちが木の枝についた葉を食べているなかで、首の短いキリンは葉が食べられない。自身の“欠損”のためにお腹が減る。
 そんなとき、「キリン対抗!道に落ちている小銭拾い大会」を開催したらどうだろう。首の長いキリンは、小銭が落ちている地面までの距離が長い。首の短いキリンは、楽に小銭を拾うことが出来る。優勝だ。“欠損”であった部分が、プラスに変わった瞬間だ。
 そういう瞬間をつくることができたなら、なんてステキだろう。
 けれども、実際、誰もが自分の持つ“欠損”の部分にプラスの価値を見つけることは、なかなかできないことだ。
 Aさん自身も、自分が人見知りであることに何らかの意味を見出そうと生きてきて、なかなかそれが見つけられずにいた。
 「人見知りバー」は、やっと見つけられたひとつの形である。
 「人見知りバー」の開店当日、Aさんは考えた。「いつも人と接する際、私は少しでも社交的に見えるよう、無理をして自分を偽って振る舞っている。しかし、今日はそうやって頑張らなくてもいいのだ。ありのままの自分でよいのだ。むしろそれが、今日の売りになるのだ。」
首の短いキリンにとっての「道に落ちている小銭拾い大会」のようなもの、そういう場を自分の手でつくることができた。人見知りのせいでバーになったAさんが、人見知りのおかげでそのバーでイベントを開くことができた。


■欠損にプラスの価値を見つける
 新宿の別の場所では「メンヘラビッチBAR」というコンセプトバーが開いかれている。カウンターに立つのは精神疾患を患っており恋愛で痛い体験をしたことのある女性たちだ。
 困りごとをコンセプトにしたバーは、その困りごとを抱えている人たちにとっては自分の悩みや経験を打ち明けることができる場ともなり得るだろう。そうではない人たちにとっては人間の多様性を知ることができる場となるだろう。
 四肢障害者による「欠損BAR」、人見知りによる「人見知りバー」、精神障害を患っている女性による「メンヘラビッチBAR」。
 あなたのお困りごとも、価値あるものになり得るかもしれない。

 


【「人見知りバー」にてお客さんたちといっしょに考えた『人見知りあるあるカルタ』の読み札】
「あ」 「あ、」「あの、」から始まる会話
「い」 いたたまれない いたたまれたい
「う」 「うーんもっと違う言い方があったな」会話のあとは1人反省会
「え」 「えーと…」で途切れる会話
「お」 おさまれ、動悸
「か」 かなり無理して来てる今日
「き」 きっといつか
「く」 空気でありたい
「け」 決して嫌いなわけじゃない
「こ」 孤独じゃないが孤立はある
「さ」 酒の力を借りよう
「し」 しどろもどろ
「す」 すみっこが安心する

「せ」 「先生、河村さんが手を挙げています」
「そ」 その一言が言えない
「た」 たまに張り切っては失敗
「ち」 ちらちら見たり
「つ」 つらい
「て」 手品する 見せる相手は まだいない
「と」 時々勇気を出してみる
「な」 名前を知ってるくらいの相手に挨拶しようか悩む
「に」 人間は面倒だ
「ぬ」 ぬるい関係が築けない
「ね」 寝たくないけど寝たふり
「の」 のみこんだ言葉の多さ数知れず
「は」 はにかむこともできない
「ひ」 美容院が苦行のあまり自分で髪を切る
「ふ」 服屋で店員が近寄ると逃げる
「へ」 僻地へ行こう
「ほ」 ほっとできる場所を探している
「ま」 前に出て固まる
「み」 みんながはしゃいでいるときの圧迫感
「む」 むずかしいな、話を広げるのって
「め」 めんどうだ 自分の希望を伝えるの もうこれでいいや
「も」 もし雪山で一人遭難してようやく誰かに会えたとしても話しかけられない
「や」 夜景を見てるふり
「ゆ」 有効な対処方法?“会話のマニュアル化”
「よ」 世の中、しょっぱい
「ら」 「らくにしてて」と言われても
「り」 臨機応変に憧れる
「る」 類で呼ばれた友は無し
「れ」 レモンかけてもいいのかな
「ろ」 ろくに目も合わせない
「わ」 笑ってみたい心から

人見知りバー
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